1939年に、ソ連がドイツと独ソ不可侵条約を締結したことにより、ヨーロッパのユダヤ人をソ連経由で日本へ移送する計画に暗雲が差した。同年9月、第二次世界大戦の発端となる、ドイツのポーランド侵攻が始まった。同国のユダヤ人は亡命を余儀なくされ、その一部は隣国リトアニアへ逃れた。だが、翌1940年7月から8月にかけ、ソ連はリトアニアを含むバルト三国を次々に併合した。これにより、脱出の可能性はほぼ断たれた。
9月には、日本政府は日独伊三国防共協定をさらに発展させ、ドイツとイタリアと日独伊三国軍事同盟を締結した。その翌日、東条は安江の大連特務機関長職を剥奪し、予備役に編入。また、同年12月の開催を予定していた第4回極東ユダヤ人大会を中止させた。
ソ連のバルト三国併合と前後して、ドイツ占領下のポーランドからリトアニアに逃亡してきた多くのユダヤ人が各国の領事館、大使館からビザを取得しようとしていた。リトアニアのユダヤ人は、トルコを経由してパレスティナに至るルートを検討していた。だが、トルコが国境を封鎖したため、ソ連から日本へ抜ける方法を模索する。
しかし、通過ビザは目的地の入国ビザがなければ発行されない。困り果てた彼らのもとに、「首都カウナスのオランダ領事館が、カリブ海のキュラソー島や南米のギアナ(のちのスリナム)といったオランダの植民地への「入国許可証」(同地では入国ヴィザを要しなかった)を発行する見込みがある」との情報が入った。さらに、日本のビザ発行を条件として、ソ連が通過ビザを発行することが判明したため、ユダヤ人らは日本領事館に押し寄せた。
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彼らの状況に同情した領事代理の杉原千畝は、日本への渡航と一時的滞在を許可する通過ビザを発行した。ソ連政府にビザを請求した彼らは、厳しい審査の果てに、シベリア鉄道でロシアを横断することを認められ、ウラディヴォストークから船便で敦賀へ渡り、最終的に神戸と横浜に到着した。ビザの有効期間は2週間であったが、彼らの多くはその後も日本に留まった。キュラソー島やギアナはリトアニアを出国するためだけに示された目的地だったため、最終的な入国先を新たに探さねばならなかったのである。